私達の暮らしと税金
高校生の作文優秀作公開
京都府租税教育推進連絡協議会賞
税と私たち

独立行政法人国立高等専門学校機構 舞鶴工業高等専門学校 3年
横田 耕史朗

 祖父が倒れたのは私が中学生になってすぐの夏だった。脳梗塞という、手足の麻痺や意識障害を起こす病気で、 祖父の場合は普段の生活に戻れないかもしれない状態だった。私は父に連れられて、祖父が入院した病院へ行った。院内は非常に広く、 通路も大型の機材が通れるよう幅に余裕があった。祖父の病室は広々とした個室で、室内にはシャワー室やテレビ、小型冷蔵庫などが備え付けられていて、 さながらビジネスホテルの一室のような空間だった。祖父は大事には至らず、私たちと談笑できるほど回復していた。

 帰り際、私は気になっていたことを父に聞いてみた。

 「じいちゃん、すごく大きな病院に入院してるけど、お金、大丈夫なのかな?」

 すると父は、

 「じいちゃんは国民健康保険入っとるから、国がほとんど補助してくれるはずだよ。」 と、微笑みながら話した。私は驚いた。国からの補助とは、高額療養費制度というもので、入院や手術によって高額になった医療費の自己負担額に、 年齢や所得に応じて上限を設ける制度である。祖父は年金で生活しているため、実質の負担額は数万円程度で済んでいたのだった。

 そしてこの制度は、私たちの税金で成り立っているのだ。私はこれまで、税金に対して何度も文句や不満を吐露していた。 しかし、私の祖父が入院できたことは、まぎれもなく税金によるものである。さらに視野を広げると、祖父を病院に連れてきてくれた救急車、 病院を訪れる際に通った道、これらは全て税金によって賄われているのだ。祖父は日本国民の協力によって支えられていたのだ。

 税金によって明日が成り立っている。私たちがけがや病気によって病院を受診した時にも、窓口で健康保険証を提示すると、医療費が三割の自己負担で済む。 残りの七割を負担してくれているうちの一部が税金である。私たちが納めた税金が、誰かの命を支えているのかもしれないのだ。

 私はあと少しで十八歳になり、税を納める立場になる。税金は私の大切な祖父の命をつないでくれた。私も誰かの大切な人の命をつないでいると思うと、 税金を納めることが誇らしいと感じるのだ。